ふなごやすひこ(れいわ新選組・比例代表)7月12日の演説内容
舩後(ふなご)さんの原稿をお預かりしましたので、代読いたします。
皆様初めまして、世界でたった一人の『全身麻痺ギタリスト』、ふなご やすひこ でございます。
普段なら、調査する費用もないことから“たぶん”をつけるのですが、本日は真実まことの世界的ギタリスト・スギ様(SUGIZOさん)をゲストにお招きしておりますので 張り合うつもりで言い切ってみました。
本日のこの時間、どうかよろしくお願いいたします。
さて、まずは私の政策を発表させていただきます。
それは『日本の全患者・障害者が幸せになるための教育改革』。
もう一度申します、『日本の全患者・障害者が幸せになるための教育改革』です。
実は私、被虐待体験者なので、経済的虐待・精神的虐待・肉体的虐待を一通り受けてきております。
もっとも、“肉体的虐待”は暴力などの直接的なものではなく、“体に合わない有料栄養剤”を与えられ、1日平均3回の下痢を15ヶ月間続けたのです。
ここで健全な精神を持つ医療関係者・介護関係者が不思議に思うのは、“本来保険で請求できる栄養剤”がなぜ“有料”なのだ?という事でしょう。
実はこれこそが“経済的虐待”なのです。
私はこれらの虐待をする人の心理を探ってみました。
まずこれらの虐待をしても、なぜ“平然”としていられるのか?
これは相手を「劣ったやつだ」と馬鹿にする心があるからです。
では自分と比較して劣った奴とは、誰を示すのでしょう?
それは『生産性のない、高齢者と障害者』です。
この思考は社会に蔓延していると私は感じています。 身震いするほど。
だから私は、山本代表と同おなじ『生産性で人の価値が図られる社会を問題視する思考』にいたったのです。
この問題を解決するには、あくまでも私が当選した場合にですが、文科省を訪れ「“人の価値を生産性でははからず”という教育を小・中・高校・大学の道徳/倫理の科目に導入してほしい」とは言わねばなりません。
この提案の土台とするものは、私の自説『人間価値論〜命の価値は横一列〜』です。
これは私が大学の講義で述べていることなので、途中を省略して紹介させていただきます。
キーワードは「人の価値は“空間”と“時間”、そして“存在”を考察することによりはかられる」。
どの講義講演でも語りますが、私がするスピーチでは、稚拙ながらも、最重要な部分だと考えています。
「高度医療・介護関係者をはじめ、一般の人々にいたるまで考えてもらわなければ、われわれ障害者はいつまでもこの価値を『生産性』のみではかられ、絶望の日々を生きていかなければならないことになる」という言外の意味を含めたことをこれから話します。
その意味とは、私は健常者・障害者の別なく、人の価値政策はつまり、道筋をつけるには『空間』と『時間』そして『存在』を考察すれば、順位度外視して決められるということを論じております。
補足として『存在』は、価値を認められる存在Aと、価値を認められる存在Bとしました。
この方法ならどんな人でも例え私のようなALS患者であっても、その人の持つ『固有の価値』が見えてもらえると思っています。
とはいっても、用語は拝借したのですが。(笑)
全く哲学的なものではなく、日常にあって見受けられるものなのです。
いわば「日常の考え方」ということなのです。
話を分かりやすくするために、例え話を作ってみました。
(例1)トイレが詰まった。刻々と悪臭が満ち、家中に広がった。臭い!その時、呼んであった修理屋さん登場。サーッと直し、つまりの原因を説明。あなたBはその時修理屋さんAが神様に見えるでしょう。それこそが『修理屋さんその人の存在』が有する価値なのです。哲学者が持つ知識より、その『家という空間』、その『修理にかかる時間』において価値があるものなのです。
分野分野で人それぞれに持つ価値を発揮します。そんなものなのです。人の価値を見出す一瞬とは、順位はつけられません。
あなたがある空間で、「価値ある人だ」とある時間においてその人を覚えたら思えたら、その人は『価値ある人』なのです。
別の例も挙げてみます。これは実際の話です。かなり前になります。
(例2)私が人文学科研究所の客員教員をしていた大学には、結婚後妊娠して、流産した経験がある女子学生がいました。その彼女がある日、こんな質問を私にしてきました。「私は超音波映像で見たあの子に感動しました。そこには命がありました。確かに命を感じました。お腹のあの子は感動という形で命を育む素晴らしさを教えてくれたのでしょうか」と。
私は「小さい命とか、障害者は “人を感動させる” という形で貢献しているのです。ただ生きることで、人を感動させることができるのです。命とは、人に感動を与えるものなのです」と答えました。
例はここまでです。
さてこの場合の『空間』とは『ママになった学生が、我が子を見られた超音波映像の機械がある診察室』です、
『時間』とは『ママが我が子を見られた瞬間』です。
そして『存在』は『ママB』、そしてそのママと相対する『胎児』の2人になります。
念のため補足します。存在は『価値が認められる存在A』と『価値を認められる存在B』とがあります。
その『空間』と『時間』そして『存在』が形成したものこそ、胎児がママにもたらした『命が育む感動』です。
感動を「価値なし」と否定するアマノジャクはいません。
ということは、ママになって胎児は、『価値ある存在』なのです。かけがえのない。
アインシュタインの言葉に「人の価値とはその人が得たものではなく、その人が与えたものではかられる」というものがあります。
胎児は得たものなど何一つありません。
ですが、ママが「我が子が生きている」ということだけで感動を与えてくれています。
それが生命が持つ、最も大きな役割ではないでしょうか?
そしてそれこそが大いなる価値なのです。
これは高齢な方、障害を持つ方とて皆同じです。
高齢な方なら、朝その子どもが元気な姿を見れば「よかった。本当にありがたい」という感動をもたらす。価値を見出します。
逆も真なり。
障害児を持つ親ならば、「いつまでも子供が元気であって欲しい」と願っています。
『家庭という空間』と、『親の人生の過ぎ行く時間』の中で『子ども、すなわち障害者という存在』が命を保ってくれさえすれば「ありがたい」という感動がもたらす。価値をその子に見出します。
つまり生産性は学歴や学校歴など、見えるものでは人の真の価値、言葉を言い換えればその人のもつ『生まれながらに有する本質的な価値』は測れません。
そしてこれがALS患者、舩後(ふなご)の自説『人間価値論〜命の価値は横一列〜』の土台なのです。
後は笑い話になってしまいますので省略します。
さて、このことを端的にまとめたのが私の政策『日本の全患者・障害者が幸せになるための教育改革』です。
ご清聴ありがとうございました
(2:18:50)
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