やすとみ歩(れいわ新選組・比例代表)7月5日の演説内容
こんばんはやすとみ歩(あゆみ)です
このたすきをもらって今日、気付いたんですけど、やすとみ“あゆむ”って書いてありましたが、やすとみ“あゆみ”なんですけれども…。
私は生まれた時は親につけられた呼び方はやすとみ“あゆむ”でした。
それで2〜3年前にですね、読み方変えました。
みんな割と知らないんですけど「読み方」は住民票を単に訂正すれば済むだけで、裁判とかいらないです。
で、なぜ変えたか?って言うと、「あゆむ」っていう名前で呼ばれると、“ドキッ”とすることに気付いたんです。
「なんか嫌な感じがするな」っていうことに気づいて。
それからこんな格好するようになったので、男性的な感じのする “あゆむ”っていう名前よりも、“あゆみ”っていう名前の方が自分にふさわしいなと思ったんで、“あゆみ”っていう名前に変えました。
それで住民票を、引っ越しした時に、名前の読み方“あゆみ”って書いたら、住民票がそうなるので、それで銀行もキャッシュカードも全部変えられます。
パスポートだけが面倒くさくてまだ残ってるんですけど。なんか外務省にいろいろ説明しないといけないそうなんですが、そのうち変えようと思ってますが。
“あゆみ”っていう名前に変えたらですね、名前呼ばれてもドキッてしなくなりました。
なんでドキッてしないのかなと思ったら、たぶん“あゆむ”っていう名前は『母親に叱られる名前』だったんです。…ということに気がつきました。
親とはですね、10何年か前に私が離婚しようとしたときに、猛烈に母親が妨害して。で、弟経由で「もう連絡してくんな」って言ったら、それっきり連絡してこないですね。うちの親は。
なので、一応振り切ったつもりでいたんですけれども、名前はですね、呼ばれるためにドキッとするっていうことを繰り返していたってことに気づいて、本当に驚きました。
子どもの虐待っていうのは、私たちが普通に虐待と思っているようなものだけではありません。
私の両親は、私を“立派”に育てました。
誰よりも“立派”に育てたと思います。
彼らは必死で私を育てて、立派な人間にしようとして…。
そして京都大学に入って、銀行に…住友銀行に、三井さんと同じところに入って、2年半で辞めたんですけど。
で、大学院に入って博士を取って、大学教授になって、最後、名古屋大学から東京大学の教授になるっていう“立派”な“エリートコース”を歩んで…。
そのように立派に育てたんですが、でもその私は『虐待のサバイバー』だと思ってます。
『子どもをまもる』というのは、『私のような人間を作らない』っていうことです。
私は、例えば京都大学に合格したときも、私が34歳で最初に書いた、博士号を取った論文を本にした本で『日経経済図書文化賞』という賞をとりました。
その受賞の連絡を受けた時も、東大に職を得た時も、これっぽっちも“嬉しくなかった”んです。
いつも私は、そういった時にはほっとしていました。
例えば、その日経賞というのはだいたい功を成り遂げた立派な先生が受賞するような賞なんですけれども、私は34歳の時にそれを受賞したんですが、本を書いて出版した時に「この賞を取らなかったら“死ぬ”」って思ってました。
だから本当に怖くて、取れなかったらどうなるだろうと思った時に電話がかかってきて、受賞したのでほっとしたんですね。
完全におかしいです。成功する人間というのは、そういう人間です。
「成果をあげなければ、生きてる値打ちなんてない」って、心の底から思ってるから成果を挙げられます。
東大や京大に合格するような勉強を、そんなことのために青春を捧げるのはまともな人間には無理です。
「合格しなかったら死ぬ」って思ってるから、合格するんです。
そんな風な人間に子供を育てるのは『虐待』です。
考えてみてください。
この国は、そういう学歴エリートによって指導されています。
私たちは、私たち“エリート”は、怯えています。
「誰かに何かを言われるんじゃないか」と思って、怯えています。
特に自分に力を振るうことのできる人に、叱られるのに怯えています。
50なん歳にもなって、親から縁を切って十何年も経って、東大教授で有名人なのに、「あゆむ」という名前を呼ばれるだけで、私は怯えるんです。
そんな人間に社会を指導させたらどうなるか、想像してください。
なぜ彼らは『原子力発電所』のような最初から安全に運営することなど不可能なシステムを、安全に運営できると信じられるのか?考えてください。
彼らは偉い人に叱られるのが怖いので、そう『信じられる』んです。
そういう人々にこの国を任せてはいけません。
怯えない人に任せないと駄目なんです。
自分自身が、自分自身であるということを受け入れている人。
自分がおかしいと思ったら「おかしい」って思える人。
そういう人にしか、重要な決定を任せてはいけません。
安倍さんは“学歴エリート”ではないです。
だけど、彼は、もっとすごい“エリート”の家の出身です。
そういう人々も怯えています。
お母さんに叱られるのに怯えてます。
おじいさんの『夢』を実現できないと叱られるから、怯えているんです。
『恐怖』に駆られて決定を下す人に、社会を任せれば、社会は滅亡に向かいます。
私たちが必要としているのは、『怯えない、やさしい、強い、そういう心を持った人々』です。
それは残念ながら、私はこのれいわ新撰組の人々の中にも、やはり私はいないと思うんです。
なぜなら、私たちの世代は全員『殴られて』育っています。
私たちの親たちは、まだ子どもを『殴る』そういうことが当たり前の世代でした。
私の親は、私がアレルギー性鼻炎ですぐずぐず言わしていると「そんな弱虫だと兵隊に行けないぞ」と言って脅しました。
世間が万博とかやって浮かれている時にですね、子どもにそんなことを言う親はちょっとどうかしてるんですけれども。
彼らは昭和9年、10年なので、生まれた時には戦争が始まっていて子ども時代のすべてを戦争の時代に過ごしました。
だから父親は、「大きくなったら戦争に行って死ぬと信じていた」と言っていました。
おそらく母親は、大きくなったら男の子を産んで、戦場に送り出して戦死したらニッコリする。
そういう『靖国の母』のモデルを体に染み込ませて育ったのだと思います。
その『恐怖』が私にも埋め込まれています。
同じ『恐怖』はおそらく日本人の間に埋め込まれています。
『戦争』は終わってはいません。
私たちは 子ども達を守らないといけません。
さもないと、この国の戦争は終わりません。
私たちの心に埋め込まれた『恐怖心』が、この発展した豊かな社会を生み出したんです。
そんな『恐怖心』によって生み出された豊かさは『偽物』です。
その豊かさは、『収奪』によってしか成り立ちません 何を収奪しているのか?貧しい国の人々、私たちの社会の中の弱い人々、そして自然環境です。
私たちの豊かさは、これらの『破壊』によって、その『犠牲』によって成り立っています。
そのような暴力性を帯びた豊かさを味わっても「美味しくない」です。その味は「苦い」んです。
だから私たちは、どんなに立派な家に住もうとも。
どんなに立派な都市に住もうとも。
どんなに優れた製品を使おうと思うとも。
心が『空っぽ』になっています。
私たちが幸福だと感じる時、私たちは幸福です。
何かを手に入れても、幸福にはなりません。
そして恐ろしいことに、怯えに支配された人間は、何を手に入れても、何をやっても感じません。
『暇つぶし』ができるだけです。
暇つぶしをやめましょう。
自分たちが何を食べているのか感じましょう。
美味しいものを食べましょう。
気持ちのいい家に住みましょう。
楽しいことをやってください。
そのための心を取り戻しましょう。
そのためには、私は子どもたちに学ばないといけません。
子どもを叱るのを止めてください。
子どもをしつける権利なんて、オトナにはありません。
今日、私は阿佐ヶ谷で小学生3人とお話をさせていただきました。
お腹が空いていて、ご飯が食べられない子どもがいるのに、「学校に何百万円もかけて、一人当たり100万も200万もかけて学校を運営してるんだ」と言ったら、「なんでそんなことをするんだ?」と「まずお腹を空かせた子にご飯を食べさせてから、学校を作ればいいじゃないか」と。
小学生は私に言いました。
「なんでそんなことするの」って聞かれました。
「大人が狂ってるからです」と私は答えました。
私たちの狂気を、今日断ち切って、子ども達を守って、本当に楽しい社会を、今、作りましょう。
ありがとうございました 。
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